道?

100分で名著の「老子」の4回目のワンシーン。

学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるのだろう。

そもそも善と悪とで、どれほど違いがあるのか。他人が恐れるからと言って、自分も恐れるとは、なんと道の真理から遠いことだろう。

春になると、人々は喜んで宴席のご馳走を囲む。ただ私だけが寂しげで、心の内を見せることがない。ひとり孤独で、どこにも帰属せず漂っている。

誰にでも財産があるのに、私だけが貧しい。人々は生き生きしているのに、私だけがひとり、暗く悶々としている。まるで、その心は波のように絶え間なく揺れているかのようだ。

ただ、私には尊い支えがある。それは、母なる道に見守られているということ。

 

 学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるだろう。ものの善悪、良し悪しは人間が勝手に決めたこと。例えば、良い天気悪い天気などは自然には存在しない。

人間は社会で常識を学び、それを自分に当てはめて悩むのだ。それは、差別や偏見、争いもそうだろう。人はおかしいと思っていても、ひとり異を唱えることは怖くてできない。みんなと同じであることに安心を覚えるのだ。

周りを見れば、みんなは楽しそうに美味しいものを食べ、財産を持ち、生き生きと暮らしている。それに比べて、私は暗く貧しい。みんなの輪に入ることなく、ひとり生きている。私の心は、絶え間なく揺れ動いている。

その私を支えてくれるもの。それが、母なる道である。母なる道に見守られているから、私は生きているのだ。

 

何にもとらわれることなく生きてくのは、孤独でさみしいものです。中国の古典はとても難しいですが、老子の教えは仙人的な生き方のようにも感じて、生活で実践するのは、ちょっと困難な気もします。

老子の言う、「道」。どんなにつらくても、道に見守られている。そういうことが心の支えとして、感じられる。生きていくうえで、「道」というのが、一つのキーワードなんだと思います。

これは、壮大なテーマだなぁ。