子ども心を忘れずに。

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 ↑この記事の『田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンデを背負わされている。』というところ。思わず笑ってしましました。そうなんです!田舎者は教養的、文化的な生活を送れない。これは、認めたくない事実…。

 

私が育ったのも田舎町。コンビニは中学生の時にようやくできた。自分の家も山あいで、限界集落の一歩手前というところでした。恥ずかしいことに、私は親戚にも大卒の人ってごく少数だったし、大学生も見たことがなかった。そもそも大学って何をするところなのかも知らなかった。

 

だから、この記事にもあるように、田舎者は“そもそも知らない”のです。(知らないほうが幸せというのはうそだと思う。)選択肢そのものを知らない。残念だけど、それが現実なんだよね。

 

 

自分も大学に行かなかったことはとても心残りに思っています。いまから何年も働かないで大学生活を送るというのは、現実的に正直かなり難しい。これからの生活もあるし、何より時間がもったいない。働きながら学ぶのなら放送大学とか通信制の大学とかがあるから、何年かかるか分からないけど、そういうのを利用して勉強してみたいなと考えています。これは、スキルアップとか、評価してもらいたいからというよりは、純粋な探求心で。やっぱり、新しいことを知るということは楽しいことだから。

 

大学を出ていれば、もっといい仕事につけたのになと思うこともあるけど、悔やんでも仕方ないというか、それをいったん受け入れないと。まぁ、自分も大学出てないなりに、それなりに頑張ってきたつもりだし(笑)。

 

それで、最近なんとなく思うのですが、結局みんな大人になってやっているのは、子供時代を取り戻すことではないか?と思うんです。子供時代好きだったことを発展形として大人になってやってみたり、あるいは、子供時代できなかったことを大人になってやってみたり。子供時代の感情を再体験しているというか。

男の結婚も、母を妻に重ねてみてみたり、自分の子供と一緒に遊ぶのもそう。仕事だって、成績1番になってお母さんに褒めてもらったりすることに繋がっているかもしれないし。もしくは、部活の延長線上に仕事があると思っていたり。子供時代は大人になるためのトレーニングをしている訳だから、大人になって感じるであろう様々な感情を子供のときから体験させておくことが大切なのかもしれない。

 

そう考えると、心の病も子供時代を取り戻そうとする働きなのかもしれませんね。

 

 

 

自分は図鑑とかを見るのが好きな子供だったので、昔から色んなことに興味を持って色んなことを知りたかったんだろうなと、いまになって思います。いまだに、本読むの好きだし、やっぱり色んなことを知りたい、そういう気持ちは今も昔も変わらないんだと思います。

 

たぶん、創造性は自分の経験や知識に基づくものだと思うのですが、自分の中にある子供心によって「遊び」になったとき、それがとても素晴らしい表現となって現れてくるのではないでしょうか??これって、けっこう大事なことだと思います。

 

子供心を忘れて生きるのもつまらないし、大人になり切れずに子供のままってものつまらない。人間として大人になっていくのだけど、どこか自分の中に懐かしい子供の気持ちを持っている。そういう生き方がいいな。と、思います。

 

 

全体性への道

HSPの自己理解のためにと思って読んだ本です。HSP×ユング心理学みたいな感じになっていて、おもしろかったです。(ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)

  

ユング派の人たちが取り上げる性向の一つに、その人の「情報の取り入れ方」がある。… われわれは誰もがこの四つの「機能」 ― 感覚、直観、思考、感情 ― の中で、特に優れたものをひとつ持っている。HSPにとっては、直観がそれである場合が多い。

 

 

四つの機能すべてに秀でている人はいない。「劣等機能」についての長い論文を書いたマリー・ルイーズ・フォン・フランツによれば、自分の弱い機能を強めることが、全体性への価値ある道のりになる、という。そうすることで、無意識に埋もれたものに触れ、もっと無意識と調和できるようになるのだろう。

 

 

遅かれ早かれ、いずれ私たちは想像の世界や趣味、遊びを通して、自分の劣等機能を鍛えなければなくなるらしい。ユングやフォン・フランツによると、そのために時間を取るのは倫理的義務だという。多くの不合理な集合的行動は、人々が他社に自分の劣等機能を投影したり、劣等機能への訴えに反応してしまうことと関係している。そしてこの劣等機能は大衆を操作しようとするメディアや指導者たちに悪用されるのである。

 

 

十年ほど前に、河合隼雄さんの本を見てユング心理学を知りました。ユング心理学タイプ論も知ってはいたのですが、10年と言う年月を経て1周回って悩んでも、結局行きつくところは同じなんだな~と思ってしまいます。でも10年前よりは経験も積んで理解が深まったような気がします(笑)。

 

このタイプ論のおもしろいところは、「全体性」への価値ある道というように、人生を豊かにするためには自分の劣等機能を鍛えることの大切さを説いているところ。

 

私は外向的な直感型だと思うので、劣等機能は「感覚」ということになります。いろいろなものごとやできごとから、様々なインスピレーションが沸いてくる直感型であれば、ものごと、できごとをありのままに受け止める、あるがままに感じる、そういった感覚型の機能を鍛えることが必要になってくるということです。たぶん、これを避け続けていると、きっといつか壁にぶち当たって、そのことを考えざるを得ないときが来るんだと思います。

 

まぁ、この考え方が当たっているのかは正直分かりません。でも、新たな視点発見!新たな課題発見!ということで、しばらくこの考え方を深めてみたいと思います。

 

 

最後に、ヒトラーが劣等機能を使ってユダヤ嫌悪を扇動した手口をメモ。

「感覚」が劣等機能である直感型の人々に語りかける時には、ユダヤ人は経済的な実権を握る巨大な存在であり、市場を操作しているのだと訴えた。直感型の人々はあまり実用的なことが得意でなく、とくにお金を作ることが下手だ。直感型の人々はビジネス感覚のなさに劣等感や恥を感じやすいので、ビジネス感覚のある人の犠牲者になっているような気持ちを起こしやすい。

 

 これは、なんとなくわかります。それぞれに劣等機能があるので、それを利用しようとする手口。上記の手口は嫌悪感を扇動するための手口ですが、本質的には現代のビジネスって(政治もそうですが)、人々の承認欲求と劣等感を巧みに利用しているところがあって、こういうやり方に汚さを感じてしまいます。

自分の劣等感を克服しようとすることが、逆に利用されてしまうこともあるということを覚えておかなくてはなりません。自分への戒め。

 

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)

 

 

ユングの「タイプ論」|モチベーション向上の法則

 

体調不良

春はどうしても体調を崩してしまいますよね。「整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫)」からです。

 

上半身では、肩がねじれると(右の肩甲骨が外側に寄る)、胸椎1番がねじれて硬くなり、頭から下りてくるエネルギーの流れが、首の付け根から肩のまわりに停滞してしまう。そこで春はエネルギーを発散しやすい状態に体が移行したい時期なのだが、すぐには適応できないから、実際には最も頭にエネルギーが停滞してしまいやすい時期である。

 

また、頭にエネルギーが集まりすぎると興奮しやすく、肩がねじれると肋骨もねじれて、呼吸が浅くなるので、眠りも浅く寝覚めも悪くて昼間は眠たくなりやすい。骨盤がねじれると便秘もしやすくなる。下痢や風邪でバランスをとる(肩や骨盤のねじれ、特に左側の緊張をゆるめる)場合もある。

 

春は体調を崩しやすい季節。やっぱり今年も体調不良になってしまいました。

 

今年は桜の満開を少し過ぎたところで風邪をひきました。今回はものすごく身体がだるかった。このだるさは自分としては結構珍しいこと。そして、首が重苦しくなる。(風邪は身体のバランスをとるために引くと考えているので、調整にはなったと思うけど。)

 

冬、寒さから身を守るために縮んでいた身体。春は、その縮んでいた身体がゆるむから体調を崩してしまいやすい。春の体調不良は避けては通れない関所のようなものです(^^)。

 

今年は頭痛がなかったからよかったけど、仕事でリラックスできないと片頭痛っぽくなったりもしてたな。だから本当は、春はのんびりとした気分でいるのがいい。2月ごろから意識してのんびりリラックスした気分(環境が変わるのも春だから難しいけど)、スローペースな生活を心がけたいものです。

 

自分の時間

仕事をやめて、今日で2か月。この2か月を振り返ってみると、時間が経つのが遅いな~と言うのが一番の感想です。(なんか半年以上休んでいたような感じがする。)

 

仕事をしていたら、1か月、1年なんてあっという間に過ぎてしまう。それは、時間に追いかけられているからなのかな。それとも、人生を焦って生きていたからなのか。人生は短いと思っていたけれど、思っていたより人生長いんだよね。

 

サラリーマンは、「自分の時間」と引き換えにお金をもらっている。自分の時間を会社に提供しているのだから、本当の自分の時間(可処分時間)は極々短いのです。だから、仕事をしているときの1年って速く感じるんだろうな。

 

いまは、1日全部が自分の時間。時間が長く感じるのも当然と言えば当然か。

 

ようやく、ゆっくりとした気分になってきたところで、やるべきことは??というと、解離していた自分の意識を身体に落ち着かせること。もうひとつは、自己受容。ということになると思う。

 

これからのことを考えると、落ち着いた人生(自分の時間を生きる人生)も悪くないと思ってきた。自分はHSP気質を持っているようで、心理的に敏感なところがあって、精神的なストレスが溜まりやすい性格です。それは昔から自分もなんとなく分かっていたのですが、強くなろうと思って色々やってみたものの感受性の部分は変えることは出来ませんでした。そういう意味でも落ち着いた人生は悪くないのかなと思います。

 

もう一つ自己受容について。自分の中に消化しきれていない感情のわだかまりがあって、自己嫌悪に陥ることがあります。いまは、だいぶ良くなってきたのですが、昔は自己嫌悪、自己否定の繰り返しでした。だから、過去を振り返って自分を受け入れることをしなければと思っていました。

 

自己受容の入り口は、自己理解なのかと思います。自分の理解してもらえなかった気持ち。分かって欲しいという気持ちを掴むことから始まるのかと思います。

 

そういう意味でも、先日記事に書いた心理学者のケリー・マクゴガニルさんの話のなかで、未来の自分になって現在の自分に手紙を書くと意志力が高まるというのがありました。これは、使えるなと思ったのですが、未来の自分から現在の自分への感謝の手紙を書くということ、あとは、現在の自分から過去の自分へ手紙を書くということ。こういうことをやってみると自己理解が進むというか、自己肯定感がアップするのではないかと思いました。

 

せっかく、自分の時間を自由に使えるからこそ、やるべきこと。これはこれで、有意義な過ごし方なのかな~と思います。

 

マイナス思考でうまくいく?

 ケリー・マクゴガニルさんの話。

 

「未来の自分」の視点から、現在の自分へ感謝の手紙を書くんです。 取り組んでくれたことに対する感謝の気持ち、そして具体的に何をして、それがどういう結果につながったのかを書くんですね。こうした手紙を書くことで自分の意志力を上げられる、ということが研究からわかっているんです。 

 

未来の自分から目線。 なんか、これいいと思います。正直、私は意志力って弱い方なんですが、自分のモチベーション維持のために、「あのとき、その苦労があったから、今の自分があります。ありがとう!」みたいなことを思ったら意志が弱くても頑張れる気がする。紙に書くかどうかは別として、そう思っただけで気持ちが違うよね。

 

 

実は、失敗を想像したほうが成功を想像するよりもずっと効果的。もちろん成功を想像するのが悪いわけではありませんよ。でも失敗をイメージしたほうが高い効果が得られるんです。(中略)自分がどんなプロセスを踏んで失敗するのかがはっきり認識できるようになったんです。そしてその後、失敗を予測できるようになったんですね。

 

いつ、どこで、どんな理由で? 失敗を防ぐために、事前にできることは? 実際に失敗が起きたらどうするのか。こんな風にしっかり7つ手順を考えなくても構わないのですが、どんな目標に対してもオススメの基本的なエキササイズですよ。目標をストレステストにかけてみる、とでも言いますかね。目標をもって、何かをやることにしたら、それをテストにかけるんです。そしてどんなとき目標を達成できなくなるのか、失敗してしまうのかを考えるんです。

 

 

失敗をイメージした方がうまくいく?マイナス思考な発想ですが、読んで納得です。失敗したとしても、その対処方法が分かっていればなんとかなる。それに気持ちも違ってくるでしょう。前の会社に勤めていたときは、本社にオーダーを掛けるときは間違われないように、いくつもの予防線を張っていました。修理に行くときだって、現地に行ってあたふたしないように想定される故障個所の部品は必ず持って行ってました。

 

もしものことを考えるのは、挫折せずに意志力を保つために重要ということでした。やっぱり、楽観主義のみだと、ちょっと危ういんですよね。適度なマイナス思考というか、安全衛生でいう危険予知トレーニングが必要ってことですね。

 

 

 

logmi.jp 

 

「夢うつつ」を生きる現代人

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム」から。

 

 

胸の中心が過敏な反応を繰り返す現代人は、呼吸も浅く、息を吸いすぎて誰もが過換気状態になっている。そのため意識が解離的=夢うつつの状態になっているのだが、解離的意識は、ある意味、人間の宿命かもしれない。

 

 

人は自分を外側から見る意識が飛び抜けて過剰な動物だ。人間は、自分と他者の間、生態系の間にも強固な境界線を作った。そして、自分自身をも他者として外側から意識し、コントロールしようとしすぎて悩み、過剰な欲望も抱いてしまった。このような人間の本質の上に今日の過剰な情報環境が加わり、誰もが解離的意識の中で暮らす世界が出現してしまったのだ。

 

 

身体の外側に意識の中心が出てしまい、何をやっていても自分が自分でないような感じがする=解離とは意識状態としては不安そのものであり、生き物としてニュートラルな状態から大きく外れている。本来は、意識が身体の中に棲んでいる=無心であることが生き物としては一番安心できる状態だといえる。

 

 

 この本は整体師から見た現代人と言う感じで書かれているのですが、本当におすすめです。情報社会の中で生きる現代人。情報社会の中で、自分の意識が身体からどんどん離れていっていることを指摘しています。

 

一番のポイントは、身体と意識が離れた状態で何かを追いかけても幸せにはなれないということです。

 

そういう解離した「夢うつつ」を生きる現代人にとって、本当の自分がどこにいるのかが分からない。若者が「自分探し」をしたくなるのもなんとなく頷けます。これも進化の過程で発達しすぎた脳のおかげとも言えるのですが、その「夢うつつ」を離れて本来の自己に戻ることを目指しているのが「禅」の思想ではないでしょうか?

 

 

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム

 

 

人は「甘え」と「反抗」の繰り返しで育つ。

成功している人、あるいは、自分のやりたいことをやっている人ってのは、困難に打ち勝つ力と言うか、自分に対する自信を持っている人、いわゆる「自己効力感」や「レジリエンス」の高い人なのだと思います。

 

 クローズアップ現代でのレジリエンスの実験。与えられた課題に被験者がどう向き合うのかを実験しています。

課題に対して最初から無理と決めつけていたり、自分の力を過小評価する傾向があったのです。


レジリエンスには、状況に一喜一憂しない感情をコントロールする力や、自分の力を過小評価しない自尊感情が大きく関係する事が分かってきたのです。
一方、1時間以上にわたって挑戦を諦めなかった人たちからも、一定の傾向が明らかになりました。課題の失敗を繰り返す中でも、少しずつ成長していると感じている人や、いつかできるだろうという気持ちを持つ人が多くいたのです。


自分が成長前進していると感じる事ができる、自己効力感という要素。そして失敗の中でもいつかできると考える楽観性も、レジリエンスには重要な要素である事が分かってきました。

 

“折れない心”の育て方 ~「レジリエンス」を知っていますか?~ - NHK クローズアップ現代+

 

 

僕の好きな言葉の一つに「根拠なき自信」というものがあります。これは、歌手のスガシカオさんが言っていた言葉です。

スガさんは二十九歳まで普通の会社員をしていました。仕事も私生活も順調だったのですが、ある日突然、プロの音楽家を目指して辞表を提出します。それまで、プロとして活動した経験はもちろんないし、デビューの見通しが確実に立っていたわけでもありません。それでも、スガさんは「根拠のない自信があった。そうとしか言えない」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 

茂木健一郎・著「脳を活かす仕事術」から

 

やっぱり、社会で生き抜いて行くには、ある種の楽観性が必要なのだと思います。特に日本人は不安を感じやすい遺伝子を持っているのだとか。(それは、日本人の生命保険、医療保険好きなんかに現れていると思います。)

 

社会に出るということは困難の連続。自分のやりたいことをやるってことも、それもやっぱり乗り越えなければならない困難の連続なんだと思います。

 

その困難に立ち向かう力、“逆境力”とも言われる「レジリエンス」。こころが折れないための要素は、感情のコントロール自尊感情、自己効力感、楽観性、そして人間関係なんだそうです。

 

人間は一人では生きていけない動物なので、つらい時は人に頼ることも大切です。子どもは、甘えと反抗を繰り返しながら成長していくんだとか…。もしかすると、大人も依存と自立を繰り返しながら成長していくのかもしれません。

 

そういう、こころの「安全基地」を持つことが、レジリエンスを育むうえでの一番大切なことではないでしょうか。

報われる努力を考える?

なりたい自分を思い描くだけで、夢が現実のものになる…という、いわゆる「引き寄せの法則」は実は間違いだったようです。

 

 

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する」から

 

何かを夢見ると、脳の灰白質はすでに望みのものを手に入れたと勘違いしてしまうので、自分を奮い立たせ、目標を成し遂げるのに必要な資源を集結させなくなってしまう。そのかわりにリラックスしてしまうのだ。

 

ポジティブな自分への語りかけと楽観主義は、たしかにあきらめずに目標を追求できるように助けてくれるが、それ自体が目標達成を保証してくれるわけではない。もちろん、夢見ることが本質的に悪いわけではない。が、第一歩に過ぎないのだ。その次に、せっかくの夢に水を差す怖ろしい現実と、どこまでもつきまとう障害に立ち向かわなければならない。

 

自分の夢を思い描くのは悪いことではないのですが、脳はそれだけで満足してしまうということ。妄想するだけで達成感を感じて安心してしまう。脳のイメージ力はかなり強力ですね!本当に目標達成をしたいのであれば、その過程に生じるであろう困難を予想し、それにどう立ち向かうのか。自分を客観的に見て、目標との距離を考え自分がどう行動するのか?自分にとって達成できる目標なのか?どうすれば達成できるのか?そういう、報われる努力をしていくことが大切。

 

自分を振り返ると、いいな!という夢のようなものが浮かび上がって、脳で妄想して消費して終わるってことが多かった。たしかに、そういう妄想の世界に入るのって楽しいんだよね。そういう時にこそ客観視。すべての思いつきが将来の成功につながるわけではないけれど、そのなかの一つがうまく転がって成功につながるかもしれない。成功に至るプロセスこそ妄想する価値があるのかもしれない。

 

妄想も楽しいけど、そのプロセスで必要になる努力や情熱。いまの現実を見ながら、どうゆう努力をすれば報われるのか?ということを考えよう。壁にぶち当たったとき、困難を乗り越えようとする情熱が人間をつくっていくんだよね。

愛着障害 過去と向き合うこと

いま、失業中ということで、自分の過去を振り返ったりすることが多くなりました。子どものころのこととかを思い出したりして…。

 

次の仕事をどうしようかとも悩んでいるのですが、正直言って、自分のやりたいことって、何もないんですよね。やりたいことがないというか、やりたいことが分からないというか…。いつも、自分のやりたいことが分からない。そういう感じで、いままで漂流を続けてきました。つまり、目指すべき目標がなくて、ただ惰性で生きてきた。

 

自分は仕事を3~4年で変えてきたというところがあって、これはこれで色んな経験ができて良かった側面もあります。が、やっぱり漂流なんですよね。どこに向かって船を漕いでいるのか分からないのだから。

 

◆◆◆

 

仕事というのは、いろんな試練を与えてくれるもので、壁にぶつかったとき、いろいろと悩むことが多いので、そういう経験の積み重ねが成長につながると思っています。

仕事をやめたいま、自分に与えられている試練と言うのは、自分の気持ちに気づくこと。その過程で、自己を受容し、子供時代を取り戻すということではないかと思います。思春期以降の私は自分に自信がなく、自己否定、自己嫌悪が常に中心にありました。だから、20代社会に出て、いろいろと嫌な思いをしながら、自己否定、自己嫌悪の呪縛と闘ってきました。

自分は自己を抑圧して生きてきたところがあるので、いつのまにか自分の気持ちが分からなくなってしまったのではないかと思っています。(自分の気持ちが分からないから、心理学とか、性格分類が好きだったんでしょうね。)

 

◆◆◆

 

いま、こうして過去を振り返る日々を続けていると、やはり自己受容ができていないように感じます。それが、いまの私の課題です。

 

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)」より

 

私たちはよく「子どものころからやり直したい」とか「幼稚園からやり直してこい」と口にするが、そこには、深い真実が含まれている。

 

愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころの不足を取り戻したり、周囲に受け入れられるといった共感的、体験的なプロセスとは別に、もう一つのプロセスが必要である。それは言葉を介した、認知的なプロセスである。これらが並行して進むことによって、修復までのプロセスはより盤石なものになる。

子どものころに傷ついた体験は、たいていの心の隅に押しやられ、はっきり言語化されないまま、もやもやとした記憶として心に巣食っている。そうした言語化の不十分な情動的記憶というものが、その人の心や行動を無意識のうちに支配しネガティブな反応や感情の暴走、解離といったことを引き起こす原因になる。そのため、まず、そうした記憶を再び活性化することが必要である。

 

「自分が自分の親になる」という考えは、愛着の苦しみを知らない人には、突飛なものに思えるだろう。しかし、親に認められないことで苦しんできた人、安全基地を持たない人には、心に訴えるものがあるはずだ。

 

 この本は、何回も読んだ本なのですが、自分の過去を振り返るとき、この本を読まずにはいられません。

 

「自分が自分の親になる」ということ。心の中にいる親に甘え、また相談し、そして、愛着を形成して自己評価の基準を作る。自分が失くしたものを自分の心でつくりだせるのなら、そんなに素晴らしいことはありません。

 

自分の過去と向き合うことで見えてくるものが、きっとあると思います。あと、もう一歩。

道?

100分で名著の「老子」の4回目のワンシーン。

学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるのだろう。

そもそも善と悪とで、どれほど違いがあるのか。他人が恐れるからと言って、自分も恐れるとは、なんと道の真理から遠いことだろう。

春になると、人々は喜んで宴席のご馳走を囲む。ただ私だけが寂しげで、心の内を見せることがない。ひとり孤独で、どこにも帰属せず漂っている。

誰にでも財産があるのに、私だけが貧しい。人々は生き生きしているのに、私だけがひとり、暗く悶々としている。まるで、その心は波のように絶え間なく揺れているかのようだ。

ただ、私には尊い支えがある。それは、母なる道に見守られているということ。

 

 学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるだろう。ものの善悪、良し悪しは人間が勝手に決めたこと。例えば、良い天気悪い天気などは自然には存在しない。

人間は社会で常識を学び、それを自分に当てはめて悩むのだ。それは、差別や偏見、争いもそうだろう。人はおかしいと思っていても、ひとり異を唱えることは怖くてできない。みんなと同じであることに安心を覚えるのだ。

周りを見れば、みんなは楽しそうに美味しいものを食べ、財産を持ち、生き生きと暮らしている。それに比べて、私は暗く貧しい。みんなの輪に入ることなく、ひとり生きている。私の心は、絶え間なく揺れ動いている。

その私を支えてくれるもの。それが、母なる道である。母なる道に見守られているから、私は生きているのだ。

 

何にもとらわれることなく生きてくのは、孤独でさみしいものです。中国の古典はとても難しいですが、老子の教えは仙人的な生き方のようにも感じて、生活で実践するのは、ちょっと困難な気もします。

老子の言う、「道」。どんなにつらくても、道に見守られている。そういうことが心の支えとして、感じられる。生きていくうえで、「道」というのが、一つのキーワードなんだと思います。

これは、壮大なテーマだなぁ。