清々しい季節に、清々しい気持ちで。

あす5月5日は、二十四節気のひとつ「立夏」です。

GWの時期は清々しくて、一年で一番過ごしやすい気候です。毎年4月5日頃を「清明」といいます。「万物が清々しく明るく美しいころ」なのだそうです。

「すべてのものが清らかで生き生きしている」だなんて素晴らしい言葉です。一年中そうあってほしい。でも、個人的にはどことなくGWの期間が「清明」と呼ぶのに相応しい気がします。

GW中ドライブに出かけました。やはりこの季節は、穏やかな気候で、清々しく天気がいい。山は新緑に溢れ、萌黄色の木々が美しい。自分の心までが清々しく明るい気持ちになれるようです。

 

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その清々しい季節に大型連休があること。昔は交代制勤務だったから分からなかったけど、この季節の大型連休は本当にありがたいです。

自分のように神経過敏なタイプ(センサーがよく働くタイプ)の場合、週末の2連休では疲労を回復させることが出来ないです。仕事に追いかけられる気持ちになる。仕事の出来事(特に人間関係やトラブル案件)がよぎってくる。そうするとセンサー過敏なもんだから、いつになっても仕事モードで心が休まることがないんですね。気持ちの切り替えができずに、自律神経が乱れてしまう・・・。

だから、仕事に少し距離を置いて、神経を休ませることができる大型連休は貴重なんです。お盆(暑い)、正月(寒い)、GW(心地よい)。なのでGWは特に貴重です。

 

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自分の神経過敏な性格の研究をしないといけないな~と思っています。たぶん、自分はHSPだと思っていて本も何冊か読みました。感受性(感じる力、気づく力)が強い。なので、Inputされる情報の解像度が高い。解像度の高い情報を処理するために、ずっと脳が働き続ける。だから疲れる。

いい面もあるんです。異常にいち早く気付くのでリスク管理ができるとか。。。でも、その代わり、他人の2倍はストレスケアをするくらいじゃないと、身が持たないのです。

 

神経過敏な性格と、自律神経、ストレスケアの勉強をして、自分の性格を生かせることが出来たらな・・・。と思います。まさに清々しいこの季節、清々しい気持ちになれるGWに持ってこいの内容ですね。

創造するよろこび

パソコンに向かって、いくつかブログ記事を書いてみました。

文章を書くことは楽しい。仕事で文章を作るわけではないから、別に調べ物をする訳でもない。正確性が求められるわけでもない。自分の脳内にある情報を引っ張り出してきて、文章の形に変換するだけでいいのです。

意外に集中できるし、情報を引っ張り出してアウトプットすることで、自分の脳内の引き出しを整理できているような気がしています。別の言い方をすれば、無意識を耕しているとも言えるでしょうか?

自分の無意識にあるものを形あるものに構築していく作業を”創造”というのかもしれません。これは、文章を作ることに限らず、料理とか工作とか、、、自分のイメージを形にすることすべてが創造なんだと思います。

うつ病は創造性の病だそうです。河合隼雄の言葉かな。創造することは、心理療法でもあるらしいのです。難しいことを言わずとも、創作活動をして自分のイマジネーションを豊かにしていくことは、(趣味の自己満足の世界ですが)とても幸せなことではないでしょうか?

自分の無意識にあるイメージを形にしていくと、自分が集中できていることに気づかされます。集中というか夢中というか…。これを、「フロー」と言うのかもしれません。

身体を動かすよろこび

コロナの影響で、自分が通っていた温水プールが利用者制限してて、最近全然泳げていませんでした。しかし、ぼちぼち制限が解除されるようです。

なので、またプールに通おうかなと思います。睡眠と運動は健康の基本ですよね。身体を動かしたほうが、気分的にも明るく前向きになれます。水泳のいいところは、道具や服装を気にしなくていいこと。そして、汗をかかないし、あまり洗濯ものが増えないこと。

やっぱり、ターンとか出来なかったことが出来ると嬉しいし、いまの時期ならそんなに混んでもない。ジョギングは膝に負担がかかりそうだけど、水泳ならどこにも負担はかからない。

趣味は、上達を感じられるようなものにすると成長を感じることが出来て楽しい。人間は、身体を動かすとドーパミンが分泌されて、喜びを感じるようになっているらしい。身体を動かす喜びと、成長を実感できる喜び。ダイエットにもなるし、アタマもスッキリする。いいことだらけだ。

ブログ再開

実に4年ぶりですが、ブログを再開しようと思います。

 

理由は、アタマの整理をしたいから。日記とかでも良いかと思っていましたが、(誰も読む人がいるわけではないけど、)読み手を意識して、文章を書くことが大切だと思うんです。

 

そうすることで、自分を客観的に見ることもできるかな。と、思ったりします。

 

それにしても、4年前の”俺のフレンチ”の記事を読み返しました。ここは、一人でも入店できるカジュアルな雰囲気とお値段で、本格食材を使ったフレンチを食べることができるという奇跡のようなお店でした。店内は簡易的なテーブルが密集し、回転率を上げることで利益を得る方式のようでした。全然、そのやり方はうまいと思うのですが、、、コロナじゃ厳しいよな。。。客側も敬遠するだろうし。ネット通販もやってるみたいだけど、いまどんな感じなんだろうか。

 

コロナが収まったら、また東京で”俺の”シリーズ食べ歩きをしてみたいものです。

俺のフレンチへ

俺のフレンチに行ってきました。何年か前に行ったことがあるのですが、そのときの費用対効果のよさ、そして、美味しさが忘れられず、今回再び行ってきました。

 

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まず前菜。彩りも鮮やかで美しい「ウニのムースを包んだサーモンマリネ」です。一口食べるとムースがとけ、ウニの味わいが広がっていきます。サーモンとの相性も抜群です!左奥に移っているのは、一杯目のシャンパンです(^^)。

 

 

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続いて、「真鯛のフレンチカルパッチョ」。レモンがかかってあって、さっぱりとした味付です。真鯛は炙られており香ばしいです。

 

 

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メインの「オマール海老のまるごとロースト」。これを食べに来たといっても過言ではありません。これはもう文句なしのおいしさ。オマール海老のぷりぷりとした触感、食べ応え十分の大きさ、海老の濃厚な味わいが口一杯に広がります。幸せです~(涙)。

 

 

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これはデザートのクリームブリュレですね。上にのっているのはアイスクリームです。クリームブリュレは、ちょっと大きめですが甘さは控えめで飽きずに美味しく食べれました。

 

 

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食後はコーヒーにしようと思ったのですが、店員さんに進められ貴腐ワインを始めて飲みました。デザートワインと言われるだけあって甘口のワインです。これワイン?って感じでした。グラスに少量しか入っていませんでしたが、飲むと芳醇な香りが広がります。また、この色のきれい。輝きを放っています(笑)。

 

◆◆◆

 

今回のお会計は、計8500円ほどでした。ちょっと、たべすぎたかな…。オマール海老が2000円くらい、シャンパンが一杯1300円しますが、他に食べたメニューは、それぞれ1000円以内でした。

 

なかなか食べることが出来ないフランス料理なので、思い切って食べてきました。この店の良いところは、敷居が低いところ。畏まらずに本格的なフランス料理が楽しめます。自分のような田舎者でも、こういう料理を食べてみたいもんね!

 

8000円そこそこで、幸せを感じてしまいました~(笑)。

それもまた良しホトトギス


ホトトギスの鳴き声

 

私が生まれ育った山では、この時期ホトトギスの鳴き声が聞こえます。この声を聞くと田舎の風景を思い出します。鳥の鳴き声って、風景に情緒を与えてくれるんですよね。

 

松島や 鶴の身をかれ ほととぎす (曾良

 

これほどまでに壮大で感嘆させる松島なのだから、松島には鶴が一番似つかわしい。そこで鳴いているほととぎすよ、いっそのこと鶴の姿になって飛んでみてはどうだ。奥の細道芭蕉とともに歩いた曽良日本三景の松島で詠んだ句です。

 

 

曽良は、この美しい松島には優美な鶴がふさわしいと思ったのでしょうか?確かに松島の風景には鶴が飛んでいるのが絵的にはベストマッチですよね。自分は情景と言う意味では、ホトトギスの方が好きかなとは思いますが…(^^);。

 

ホトトギスといえば、戦国時代に天下を争った信長、秀吉、家康の三人を例えた川柳も有名です。「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」みたいなやつですね。それで、ウィキペディアを見ていたら、経営の神様・松下幸之助もそれらしい川柳を詠んでいたことを知りました。

 

鳴かぬなら それもまた良し ホトトギス (松下幸之助

 

ホトトギスが鳴かなくてもいいではないか。それが自然なのだから。鳴かないからと言って、自然に逆らって鳴かそうとするとするとロクなことにはならない。本当。そうだよね。いいじゃないか。ホトトギスが鳴かなくても、鶴にならなくても…。

 

今度行く町にもホトトギスは鳴いているのかな。

自分を捨てろ?

6月も今日で終わり。今年も半分が過ぎました。今年言われた一番印象に残っている言葉。

 

「自分を捨てろ。ちっぽけな自分を!」

 

なぜ、印象に残っているのかと言えば、全く意味が分からないから。

 

自分なりに解釈するとすれば、自分のプライドとか、傷つきたくない心とか、周りの目とか、そういう自分を守ろうとする気持ちを捨てろという意味なのかなと、一応の解釈ができます。

 

あるいは、現在の自分を捨てて、新しい自分に生まれ変わることを促している言葉なのでしょうか?

 

(多分、この意味不明発言をした方は、状況を正しく理解できてなく勘違いしていると思います。じゃないと、こういう見当違いなことは言わないですもんね。)

 

自分はくだらない意味不明集団を抜け出して、自分の人生を歩んでいる訳ですし、それに、恥ずかしいことをしたつもりもないし、自分を守ろうという気持ちもない。堂々としているつもりです。

 

むしろ、私は「自分を捨てろ。ちっぽけな自分を!」と言ってやりたい人を何人も知っています。なんで俺に言うんだろう…。

 

あそこのポンコツに言ってやれ!

出張の楽しみは「食」!

1週間の出張から帰ってきました。1週間ホテルで寝泊まりするのも、自宅で寝るのと違って疲れが取れない感じです。電車で地元に戻ってきたら、身体がゆるむんですよね。昨日は、ぐっすり眠れました。

 

出張中、お昼ご飯は近くのお弁当屋さんで弁当を買っていたんですが、そのお弁当屋さんのコストパフォーマンスが良すぎて感動モノでした。おろしトンカツ弁当とか幕の内弁当が、なんと破格の300円!これ普通に買ったら倍はしますよね。それで、別に味も悪くないんです。だから、お昼の12時になると弁当屋さんのレジには、男たちの長蛇の列ができます。コンビニでおにぎりを2個買えば300円になるので、それだったら、こっちで並んでも買いたくなるもんね。

 

コスパでいうと、回転ずしの「魚べい」もなかなかですよね。今回初めて行ってきました。いままでは、回転ずしは「スシロー」がいいと思っていたんですが、お会計するといいお値段になってしまいます。「魚べい」は、味もそこそこですし、お値段も思ったよりもお手頃。店舗数は少ないですが、悪くないな~と思いました。

 

さらにコスパでいうと、「俺の」シリーズも見逃せないです。来週は、出張で東京都心の方を通るので、帰りにでも「俺の〇〇」に行ってきたいです。難点は店の種類が多いので、どこに行こうか悩ましいところ。一品一品がでかいので、すぐおなか一杯になってしまうんですよね。俺のイタリアンがいいかな。あと、俺のベーカリーでお土産を買うとか。

 

来週の出張が楽しみだな~(^^)。

そろそろ引っ越しの準備も…

ようやく、転職した会社で配属先が決まりました。配属は来月の予定なので、引っ越しの準備もそろそろしないとな~と思っています。来週再来週は出張ですし、ディーラーで車の整備もしないといけないので、なかなか慌ただしいです(^^;)

 

配属が決まるまでの間、社内教育とかを受けたりしてたのですが、その時に先輩から「ウチの部署にくればいいのに!」と声をかけてもらいました。やっぱり、一緒に働きたいと思ってもらえるのは幸せなことです。

 

以前、ちきりんさんの「キャリアのVSOP - Chikirinの日記」というのを紹介しました。結局のところ、最後はP:パーソナリティーなんですよね。一緒に仕事をしたいと思ってもらえるような人になりたい。自分の目指すところも同じです。だから、「人格とキャラ」を磨いていかないと(^^)。

 

仕事は、程よい試練を与えてくれるので、「人格とキャラ」を磨くにはもってこいな場所です。そして、スキルも向上するし、お金ももらえる。だから、働く意義ってあるんですよね。

 

失敗や成功を繰り返して、悔しさとか腹立たしいこととか、色んな感情を経験できる。その時は、精神的に追い詰められるけど、後から思い起こすと笑い話になってたり…(笑)。

 

自分は、20代のころに大きく3回転職しました。その経験が少しずつ、いまの仕事に生きていると思います。自分は30代。30代はVSOPのS:スペシャリティ―で、脳科学的には「失敗適齢期」でした。いろんな失敗に学びながら、自分の「コア」となるものをつくっていきたいと思います。

 

来月から本格的に仕事がスタートするので、ちょっとドキドキですが、無理せず頑張りたいです!

体育会系の人たち…

少し前まで体育会系の事件がニュースになっていました。ある大学のアメフト部で、監督の指示のもと悪質なタックルをして相手に怪我を負わせた…、とされる事件です。また、女子レスリングのパワハラ問題や、大相撲の暴力事件など、体育会系での不祥事が続いています。

 

どれも日本的と言えば日本的な事件です。なんで、こんなことになってしまうのか?体育会系ってなに??体育会系の世界に身を置いたことがない私としては、いまいちよく理解できません。

 

◆◆◆

 

個人的に体育会系の話で思い出すのが、自分が新卒で入った会社で、製造部門の部長が「俺は体育会系出身者なら間違いないっていう偏見を持ってるんだよ~!」と冗談っぽく言っていたことです。このように体育会系出身者を評価している人は割と多くいます。

 

やっぱりスポーツの世界で精神的に鍛えられているからなのかな~と思います。仕事をすぐに投げ出したりしない、上下関係をしっかり守る、コミュニケーション能力が高い、多少のことではへこたれない根性を持っていることなどが、製造では好まれるからだと思います。

 

しかし、いざ自分が体育会系出身の人と同じ職場で働いでみると、上の人には媚びへつらい、下の人には傲慢…、という絵にかいたような人がいて、(その人だけだとは思うのですが…)そのインパクトが強すぎて自分は体育会系出身者はそういうものだという「偏見」を持ってしまいました。

 

◆◆◆

 

社会に出るとメンタルの強さというのは、本当に大事だな~と強く感じます。打たれ強さというか、転んでも起き上がり立ち向かう強さですね。だから、そういう心の強さを、体育会系の人たちは持っていると思って、そこが自分からするとすごいなと感じます。

 

ただ、一方で厳しい上下関係はすごいのかというと、ちょっと微妙なところです。体育会系の世界では、指導者や先輩など上の人の命令は絶対みたいなところがあると思うのですが、自分はそれは違うと思うんです。アメフトの事件は、誰かの指示がないと選手の勝手な判断でやったこととは思えないですよね。

 

なのでこの事件は、当然指導者が悪いのであって、学生だけを非難することは出来ません。でも本当は、選手の方も、やっぱりダメなことはダメと気づく強さ、あるいはそれを言葉にする強さを持ってもらいたいと思うんです。それは、自分の主体性を持つということであり、自分の意見を持つということです。学生でありながら監督に意見ができるのかと言われれば、それは難しいと思います。ただ、これから社会に出ていい大人になっても、上の人の意見が絶対という発想はダメで、(どう伝えるかは別として、)ルールを知り、自分の意見を持つことは大切なことだと思います。そして、声を上げる勇気も…。

 

それともう一つ思うのは、指導者は逃げてはいけないということです。何か起こったとき責任を取るのは指導者です。いざという時、感情に振り回されたり、他人のせいにしたり、逃げたりする指導者を誰が尊敬するというのでしょうか。やはり、指導者の度量というのは、そういう時に試されるのです。

 

◆◆◆

 

責任あるポジションに就くと人間は成長するという意味で「立場が人を育てる」という言葉がありますが、逆に立場が人をダメにすることもあるんだなと思いました。

 

ひとつの世界しか知らないと、世間の常識から離れていきます。ひとつの世界にずっといると、自分の知っている世界が全てになってしまいます。監督だからと言って下の者を平気で使ったりしていると、 自分が人間として偉くなったような、王様にでもなったような気分になるのではないでしょうか。そして、自分のために何かをしてもらうのが、だんだんと当たり前になっていく。自分の世界の王様として、誰に怒られることもなく、何かあったら他人のせいにして逃げればいい。そうなったら堕落していくのは当たり前です。その姿は、わがままを言う子供と変わらないでしょう。

 

やっぱり、弱い人間ほどそうなっていくんです。心の強さって本当に大切です。この前も書きましたが、自分を守ろうとしないことです。そして責任から逃げようとしないことです。自分を守ろうとする心が、隙をつくるんです。責任を取れない事は最初からやるな。弱い人間ほど自分の力を誇示したい、格好をつけたがるものです。でも、それって所詮は張りぼてですよね…。(でも、その張りぼてを支えているのは、周囲の人間なんです。)

 

今回のアメフトの事件は、今まで表に出てこなかっただけで、問題は根深いな~と思います。ほんと、日本的…。私はスポーツは心を鍛えるという側面を持っていると思っています。自分に矛先を向けられたくないからと言って、自己保身、事勿れ主義に走るのは、それこそが一時の自己満足というものです。ことを荒立てずにその場をしのぎ、そしてまた同じ過ちを繰り返すことになるです。

 

愚かな指導者のもとに、愚かな人たちが集まり、愚かなことを行い、そしてより愚かになっていく。もしそうだとしたら、これ以上残念な世界はないでしょう。そうではないことを祈ります。

 

最後にもう一度書きますが、大切なのは自分の心の弱さと向き合うということだと思います。