自分の時間

仕事をやめて、今日で2か月。この2か月を振り返ってみると、時間が経つのが遅いな~と言うのが一番の感想です。(なんか半年以上休んでいたような感じがする。)

 

仕事をしていたら、1か月、1年なんてあっという間に過ぎてしまう。それは、時間に追いかけられているからなのかな。それとも、人生を焦って生きていたからなのか。人生は短いと思っていたけれど、思っていたより人生長いんだよね。

 

サラリーマンは、「自分の時間」と引き換えにお金をもらっている。自分の時間を会社に提供しているのだから、本当の自分の時間(可処分時間)は極々短いのです。だから、仕事をしているときの1年って速く感じるんだろうな。

 

いまは、1日全部が自分の時間。時間が長く感じるのも当然と言えば当然か。

 

ようやく、ゆっくりとした気分になってきたところで、やるべきことは??というと、解離していた自分の意識を身体に落ち着かせること。もうひとつは、自己受容。ということになると思う。

 

これからのことを考えると、落ち着いた人生(自分の時間を生きる人生)も悪くないと思ってきた。自分はHSP気質を持っているようで、心理的に敏感なところがあって、精神的なストレスが溜まりやすい性格です。それは昔から自分もなんとなく分かっていたのですが、強くなろうと思って色々やってみたものの感受性の部分は変えることは出来ませんでした。そういう意味でも落ち着いた人生は悪くないのかなと思います。

 

もう一つ自己受容について。自分の中に消化しきれていない感情のわだかまりがあって、自己嫌悪に陥ることがあります。いまは、だいぶ良くなってきたのですが、昔は自己嫌悪、自己否定の繰り返しでした。だから、過去を振り返って自分を受け入れることをしなければと思っていました。

 

自己受容の入り口は、自己理解なのかと思います。自分の理解してもらえなかった気持ち。分かって欲しいという気持ちを掴むことから始まるのかと思います。

 

そういう意味でも、先日記事に書いた心理学者のケリー・マクゴガニルさんの話のなかで、未来の自分になって現在の自分に手紙を書くと意志力が高まるというのがありました。これは、使えるなと思ったのですが、未来の自分から現在の自分への感謝の手紙を書くということ、あとは、現在の自分から過去の自分へ手紙を書くということ。こういうことをやってみると自己理解が進むというか、自己肯定感がアップするのではないかと思いました。

 

せっかく、自分の時間を自由に使えるからこそ、やるべきこと。これはこれで、有意義な過ごし方なのかな~と思います。

 

マイナス思考でうまくいく?

 ケリー・マクゴガニルさんの話。

 

「未来の自分」の視点から、現在の自分へ感謝の手紙を書くんです。 取り組んでくれたことに対する感謝の気持ち、そして具体的に何をして、それがどういう結果につながったのかを書くんですね。こうした手紙を書くことで自分の意志力を上げられる、ということが研究からわかっているんです。 

 

未来の自分から目線。 なんか、これいいと思います。正直、私は意志力って弱い方なんですが、自分のモチベーション維持のために、「あのとき、その苦労があったから、今の自分があります。ありがとう!」みたいなことを思ったら意志が弱くても頑張れる気がする。紙に書くかどうかは別として、そう思っただけで気持ちが違うよね。

 

 

実は、失敗を想像したほうが成功を想像するよりもずっと効果的。もちろん成功を想像するのが悪いわけではありませんよ。でも失敗をイメージしたほうが高い効果が得られるんです。(中略)自分がどんなプロセスを踏んで失敗するのかがはっきり認識できるようになったんです。そしてその後、失敗を予測できるようになったんですね。

 

いつ、どこで、どんな理由で? 失敗を防ぐために、事前にできることは? 実際に失敗が起きたらどうするのか。こんな風にしっかり7つ手順を考えなくても構わないのですが、どんな目標に対してもオススメの基本的なエキササイズですよ。目標をストレステストにかけてみる、とでも言いますかね。目標をもって、何かをやることにしたら、それをテストにかけるんです。そしてどんなとき目標を達成できなくなるのか、失敗してしまうのかを考えるんです。

 

 

失敗をイメージした方がうまくいく?マイナス思考な発想ですが、読んで納得です。失敗したとしても、その対処方法が分かっていればなんとかなる。それに気持ちも違ってくるでしょう。前の会社に勤めていたときは、本社にオーダーを掛けるときは間違われないように、いくつもの予防線を張っていました。修理に行くときだって、現地に行ってあたふたしないように想定される故障個所の部品は必ず持って行ってました。

 

もしものことを考えるのは、挫折せずに意志力を保つために重要ということでした。やっぱり、楽観主義のみだと、ちょっと危ういんですよね。適度なマイナス思考というか、安全衛生でいう危険予知トレーニングが必要ってことですね。

 

 

 

logmi.jp 

 

「夢うつつ」を生きる現代人

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム」から。

 

 

胸の中心が過敏な反応を繰り返す現代人は、呼吸も浅く、息を吸いすぎて誰もが過換気状態になっている。そのため意識が解離的=夢うつつの状態になっているのだが、解離的意識は、ある意味、人間の宿命かもしれない。

 

 

人は自分を外側から見る意識が飛び抜けて過剰な動物だ。人間は、自分と他者の間、生態系の間にも強固な境界線を作った。そして、自分自身をも他者として外側から意識し、コントロールしようとしすぎて悩み、過剰な欲望も抱いてしまった。このような人間の本質の上に今日の過剰な情報環境が加わり、誰もが解離的意識の中で暮らす世界が出現してしまったのだ。

 

 

身体の外側に意識の中心が出てしまい、何をやっていても自分が自分でないような感じがする=解離とは意識状態としては不安そのものであり、生き物としてニュートラルな状態から大きく外れている。本来は、意識が身体の中に棲んでいる=無心であることが生き物としては一番安心できる状態だといえる。

 

 

 この本は整体師から見た現代人と言う感じで書かれているのですが、本当におすすめです。情報社会の中で生きる現代人。情報社会の中で、自分の意識が身体からどんどん離れていっていることを指摘しています。

 

一番のポイントは、身体と意識が離れた状態で何かを追いかけても幸せにはなれないということです。

 

そういう解離した「夢うつつ」を生きる現代人にとって、本当の自分がどこにいるのかが分からない。若者が「自分探し」をしたくなるのもなんとなく頷けます。これも進化の過程で発達しすぎた脳のおかげとも言えるのですが、その「夢うつつ」を離れて本来の自己に戻ることを目指しているのが「禅」の思想ではないでしょうか?

 

 

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム

 

 

人は「甘え」と「反抗」の繰り返しで育つ。

成功している人、あるいは、自分のやりたいことをやっている人ってのは、困難に打ち勝つ力と言うか、自分に対する自信を持っている人、いわゆる「自己効力感」や「レジリエンス」の高い人なのだと思います。

 

 クローズアップ現代でのレジリエンスの実験。与えられた課題に被験者がどう向き合うのかを実験しています。

課題に対して最初から無理と決めつけていたり、自分の力を過小評価する傾向があったのです。


レジリエンスには、状況に一喜一憂しない感情をコントロールする力や、自分の力を過小評価しない自尊感情が大きく関係する事が分かってきたのです。
一方、1時間以上にわたって挑戦を諦めなかった人たちからも、一定の傾向が明らかになりました。課題の失敗を繰り返す中でも、少しずつ成長していると感じている人や、いつかできるだろうという気持ちを持つ人が多くいたのです。


自分が成長前進していると感じる事ができる、自己効力感という要素。そして失敗の中でもいつかできると考える楽観性も、レジリエンスには重要な要素である事が分かってきました。

 

“折れない心”の育て方 ~「レジリエンス」を知っていますか?~ - NHK クローズアップ現代+

 

 

僕の好きな言葉の一つに「根拠なき自信」というものがあります。これは、歌手のスガシカオさんが言っていた言葉です。

スガさんは二十九歳まで普通の会社員をしていました。仕事も私生活も順調だったのですが、ある日突然、プロの音楽家を目指して辞表を提出します。それまで、プロとして活動した経験はもちろんないし、デビューの見通しが確実に立っていたわけでもありません。それでも、スガさんは「根拠のない自信があった。そうとしか言えない」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 

茂木健一郎・著「脳を活かす仕事術」から

 

やっぱり、社会で生き抜いて行くには、ある種の楽観性が必要なのだと思います。特に日本人は不安を感じやすい遺伝子を持っているのだとか。(それは、日本人の生命保険、医療保険好きなんかに現れていると思います。)

 

社会に出るということは困難の連続。自分のやりたいことをやるってことも、それもやっぱり乗り越えなければならない困難の連続なんだと思います。

 

その困難に立ち向かう力、“逆境力”とも言われる「レジリエンス」。こころが折れないための要素は、感情のコントロール自尊感情、自己効力感、楽観性、そして人間関係なんだそうです。

 

人間は一人では生きていけない動物なので、つらい時は人に頼ることも大切です。子どもは、甘えと反抗を繰り返しながら成長していくんだとか…。もしかすると、大人も依存と自立を繰り返しながら成長していくのかもしれません。

 

そういう、こころの「安全基地」を持つことが、レジリエンスを育むうえでの一番大切なことではないでしょうか。

報われる努力を考える?

なりたい自分を思い描くだけで、夢が現実のものになる…という、いわゆる「引き寄せの法則」は実は間違いだったようです。

 

 

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する」から

 

何かを夢見ると、脳の灰白質はすでに望みのものを手に入れたと勘違いしてしまうので、自分を奮い立たせ、目標を成し遂げるのに必要な資源を集結させなくなってしまう。そのかわりにリラックスしてしまうのだ。

 

ポジティブな自分への語りかけと楽観主義は、たしかにあきらめずに目標を追求できるように助けてくれるが、それ自体が目標達成を保証してくれるわけではない。もちろん、夢見ることが本質的に悪いわけではない。が、第一歩に過ぎないのだ。その次に、せっかくの夢に水を差す怖ろしい現実と、どこまでもつきまとう障害に立ち向かわなければならない。

 

自分の夢を思い描くのは悪いことではないのですが、脳はそれだけで満足してしまうということ。妄想するだけで達成感を感じて安心してしまう。脳のイメージ力はかなり強力ですね!本当に目標達成をしたいのであれば、その過程に生じるであろう困難を予想し、それにどう立ち向かうのか。自分を客観的に見て、目標との距離を考え自分がどう行動するのか?自分にとって達成できる目標なのか?どうすれば達成できるのか?そういう、報われる努力をしていくことが大切。

 

自分を振り返ると、いいな!という夢のようなものが浮かび上がって、脳で妄想して消費して終わるってことが多かった。たしかに、そういう妄想の世界に入るのって楽しいんだよね。そういう時にこそ客観視。すべての思いつきが将来の成功につながるわけではないけれど、そのなかの一つがうまく転がって成功につながるかもしれない。成功に至るプロセスこそ妄想する価値があるのかもしれない。

 

妄想も楽しいけど、そのプロセスで必要になる努力や情熱。いまの現実を見ながら、どうゆう努力をすれば報われるのか?ということを考えよう。壁にぶち当たったとき、困難を乗り越えようとする情熱が人間をつくっていくんだよね。

愛着障害 過去と向き合うこと

いま、失業中ということで、自分の過去を振り返ったりすることが多くなりました。子どものころのこととかを思い出したりして…。

 

次の仕事をどうしようかとも悩んでいるのですが、正直言って、自分のやりたいことって、何もないんですよね。やりたいことがないというか、やりたいことが分からないというか…。いつも、自分のやりたいことが分からない。そういう感じで、いままで漂流を続けてきました。つまり、目指すべき目標がなくて、ただ惰性で生きてきた。

 

自分は仕事を3~4年で変えてきたというところがあって、これはこれで色んな経験ができて良かった側面もあります。が、やっぱり漂流なんですよね。どこに向かって船を漕いでいるのか分からないのだから。

 

◆◆◆

 

仕事というのは、いろんな試練を与えてくれるもので、壁にぶつかったとき、いろいろと悩むことが多いので、そういう経験の積み重ねが成長につながると思っています。

仕事をやめたいま、自分に与えられている試練と言うのは、自分の気持ちに気づくこと。その過程で、自己を受容し、子供時代を取り戻すということではないかと思います。思春期以降の私は自分に自信がなく、自己否定、自己嫌悪が常に中心にありました。だから、20代社会に出て、いろいろと嫌な思いをしながら、自己否定、自己嫌悪の呪縛と闘ってきました。

自分は自己を抑圧して生きてきたところがあるので、いつのまにか自分の気持ちが分からなくなってしまったのではないかと思っています。(自分の気持ちが分からないから、心理学とか、性格分類が好きだったんでしょうね。)

 

◆◆◆

 

いま、こうして過去を振り返る日々を続けていると、やはり自己受容ができていないように感じます。それが、いまの私の課題です。

 

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)」より

 

私たちはよく「子どものころからやり直したい」とか「幼稚園からやり直してこい」と口にするが、そこには、深い真実が含まれている。

 

愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころの不足を取り戻したり、周囲に受け入れられるといった共感的、体験的なプロセスとは別に、もう一つのプロセスが必要である。それは言葉を介した、認知的なプロセスである。これらが並行して進むことによって、修復までのプロセスはより盤石なものになる。

子どものころに傷ついた体験は、たいていの心の隅に押しやられ、はっきり言語化されないまま、もやもやとした記憶として心に巣食っている。そうした言語化の不十分な情動的記憶というものが、その人の心や行動を無意識のうちに支配しネガティブな反応や感情の暴走、解離といったことを引き起こす原因になる。そのため、まず、そうした記憶を再び活性化することが必要である。

 

「自分が自分の親になる」という考えは、愛着の苦しみを知らない人には、突飛なものに思えるだろう。しかし、親に認められないことで苦しんできた人、安全基地を持たない人には、心に訴えるものがあるはずだ。

 

 この本は、何回も読んだ本なのですが、自分の過去を振り返るとき、この本を読まずにはいられません。

 

「自分が自分の親になる」ということ。心の中にいる親に甘え、また相談し、そして、愛着を形成して自己評価の基準を作る。自分が失くしたものを自分の心でつくりだせるのなら、そんなに素晴らしいことはありません。

 

自分の過去と向き合うことで見えてくるものが、きっとあると思います。あと、もう一歩。

道?

100分で名著の「老子」の4回目のワンシーン。

学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるのだろう。

そもそも善と悪とで、どれほど違いがあるのか。他人が恐れるからと言って、自分も恐れるとは、なんと道の真理から遠いことだろう。

春になると、人々は喜んで宴席のご馳走を囲む。ただ私だけが寂しげで、心の内を見せることがない。ひとり孤独で、どこにも帰属せず漂っている。

誰にでも財産があるのに、私だけが貧しい。人々は生き生きしているのに、私だけがひとり、暗く悶々としている。まるで、その心は波のように絶え間なく揺れているかのようだ。

ただ、私には尊い支えがある。それは、母なる道に見守られているということ。

 

 学ぶことをやめれば、悩むこともなくなるだろう。ものの善悪、良し悪しは人間が勝手に決めたこと。例えば、良い天気悪い天気などは自然には存在しない。

人間は社会で常識を学び、それを自分に当てはめて悩むのだ。それは、差別や偏見、争いもそうだろう。人はおかしいと思っていても、ひとり異を唱えることは怖くてできない。みんなと同じであることに安心を覚えるのだ。

周りを見れば、みんなは楽しそうに美味しいものを食べ、財産を持ち、生き生きと暮らしている。それに比べて、私は暗く貧しい。みんなの輪に入ることなく、ひとり生きている。私の心は、絶え間なく揺れ動いている。

その私を支えてくれるもの。それが、母なる道である。母なる道に見守られているから、私は生きているのだ。

 

何にもとらわれることなく生きてくのは、孤独でさみしいものです。中国の古典はとても難しいですが、老子の教えは仙人的な生き方のようにも感じて、生活で実践するのは、ちょっと困難な気もします。

老子の言う、「道」。どんなにつらくても、道に見守られている。そういうことが心の支えとして、感じられる。生きていくうえで、「道」というのが、一つのキーワードなんだと思います。

これは、壮大なテーマだなぁ。

「しっぽ」で感じる合気道?

私は、ちょっと前まで合気道をやっていたのですが、合気道で大切な身体感覚で気づいたことを書いてみたいと思います。

 

この前記事に書いた「腸脳力」(心と体を変える “底力” は “腸” にある 腸脳力)という本の話。この本は、「はじめに」でも書いてあるように、「腸を元気にすれば、脳も元気になる」ということが書いてある本です。

 

この中で、一番印象に残っているのが、人間の進化の過程でなくなった「しっぽ」の話。しっぽの名残は、背骨の一番下の骨である「尾骨」として残っています。その尾骨に一本の神経が残っていて、そこが直観を感じ取るアンテナになっているのではという話でした。

 

この本を久々に読み返してみると、見えてくるものがあります。

 

直観を頭(脳)でキャッチしていたら、行為との間にどうしても時間差が生じてしまします。それでは、流れるような動きはできないでしょう。動物と同様まずしっぽ(尾骨)でキャッチし、それが体の中心(重心)にあるハラに伝わる。・・・・これが自然な行為の基本になります。脳が認識し、行為を把握するのはその後のことです。

 

東洋では、こうした霊の世界を「道」(タオ)と表現してきました。そして、華道や茶道、柔道、剣道、合気道など、芸事はすべて「道」を追求する手段、すなわち霊性を高めるための手段としてとらえられてきました。

 

よく合気道の先生が「感じる稽古をしてください」と言っていたのですが、その“アンテナ”となる場所が、この本で言うしっぽ(尾骨)だったのかなと思います。(全身の神経が尾骨につながることが重要。)すべての動作は、しっぽ(尾骨)から始まるというか、しっぽの神経から手足までつながるというか。しっぽの名残である尾骨から背骨、脳へと流れていくのが動作の理想なのだと思います。(これは身体が主であり、脳が従であるという現代の常識からの逆転があるから、だから理解が難しいのだと思うのです。)

 

生物としての人間の歴史なかで、進化した「脳」、退化した「しっぽ」。それによって、文明は発達したともいえるのですが、進化した脳がつくりだす不安や悩みなど、実体のない「敵」が現れました。人間はなくなってしまった「しっぽ」を忘れることができず、その感覚を無意識に探し求めているのではないでしょうか。

 

そもそも、五臓六腑はじめ脳が体を自由にコントロールできるところは少ないです。意識が届かないところ、つまり無意識の世界。(自我ではなく)自己は広い概念なんだろうと思います。

 

とある方の本に、「禅とは自己の探求ではないか」と書いてあったのですが、「禅」というものに通じる日本の茶道、華道、武道などが、今に至るまで支持を受け続いている理由の一つは、自己の探求という要素が含まれているからではないかと思います。

 

では、自己の探求とは何か?といわれれば、しっぽの感覚を取り戻すためにあるのではないかと、(だいぶ飛躍しすぎですが)思ったりもします。つまり、進化した脳が人間らしさをつくりだす一方で、不安や悩みといった実体のないものまでもつくりだしてしまします。実は脳はとても不安定なのだと。そして、脳の不安定さを加速させる情報の洪水。変化の時代、混乱の時代だから、変わらないものを求めるのは自然なことではないでしょうか。人間の生死を超えて変わらないもの。それが、東洋の「道」なのではないでしょうか。

 

しかし、それはアタマで考えても見つからない。思考ではなく、むしろ思考から解き放たれたときに見えてくるのではないでしょうか?だから、「しっぽ」の神経からはじまる身体感覚を研ぎ澄ますために日本の芸事は存在しているのではないかと思います。

 

しっぽからハラ、背骨、そして全身に伝わっていく。場の中心、動きの中心は、しっぽなのではないか?悩める30代が合気道をやって一番の発見、というか、現時点の解釈ですが…。もちろんこの考えは違うかもしれないけど、この大いなる疑問、これこそが自己の探求ではないか?な~んて思ったりします(^^)。

トライ&エラーで「やってみる」。

迷える30代の私…。トライ&エラーで鍛えられるメタ認知のお話。脳科学者の茂木健一郎さんです。(「ビジネスで失敗する人は「客観視」が苦手」)から。

メタ認知とは、自分の認知を認知すること。

何かのチャレンジにおいて、人それぞれ能力や方法は違っても、自分の考えや行動を演じる自分と、それをしっかりと評価する自分によって、冷静な自己認識力を磨くと、目標をしっかりと定め、その目標に向かって無駄なく行動できるようになります。

 

自分の考え方や行動に対する「良質なトライ&エラー」を繰り返すことです。ここで大事なのは、何度失敗しても、失敗から学んだことを次に生かして、何度でもやり直してみること。これはいわば、「ほろ苦い自己確認」ともいえます。

 

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自己客観視をして評価するもう一人の自分を持つことが成功の秘訣なんでしょうか。やっぱり、失敗から学ぶことが大事なんですね。でも、挑戦しないと失敗もないだろうから、挑戦することが大事なのかな。

 

メタ認知力を高めることは、自分の課題でもありました。日々の生活、いろんなことが起こると、目の前の事だけで一杯一杯になって、ついつい視野狭窄に陥って自分を見失ったりするものです。でも、それが「トライ&エラー」で鍛えられるのかと思えば、とりあえず色んなことやってみればいいんですよね。

 

◆◆◆

 

変化の時代の挑戦と失敗。「トライ&エラー」の考え方について。ちきりんさんの本からです。

失敗を成功の反対概念と捉え、避けるべきものだと考えていると、失敗を怖がるあまり、市場でも学びのプロセスになかなか踏み出せません。(中略)

それでは、できないこと、できそうもないことに積極的にチャレンジし、さまざまな失敗を経ながら成長を続ける人とは、大きな差がついてしまうでしょう。

  

「市場でモノを売る」というのは、「売ってみて、売れるかどうかを見て終わり」ではありません。「これでは売れませんよ」という市場からのフィードバックを得、商品や売り方を改善するために「売ってみる」のです。つまり、成功するためではなく、成功に不可欠なヒントを得るために、市場と向き合うのだと考えればよいのです。

 

こうなると、「とりあえずやってみる」人が得られるチャンスは、慎重に作りこむ人が得られるチャンスより、はるかに大きくなります。誰も読んでくれないかもしれないけど、とりあえずネット上に文章を書いてみる人、誰も買ってくれないかもしれないけど、とりあえずイラストスタンプをつくってみる人、成功するかどうかわからないけど、とりあえず起業をしてみる人のほうが、「やってみて決める」世界では、チャンスをつかみやすいのです。

  

  

 

とりあえず、なにかをやってみて、市場からのフィードバックを得て学んでいく。変化の時代には、硬直的な組織で完璧な作りこみをするよりも、完成度はイマイチでも、とりあえず「やってみる」ことが大事ということでしょうか。

 

◆◆◆

 

そして、最近読んだ黒川伊保子さんの「成熟脳」に戻ると、15歳から28歳までの脳は入力性能の最適齢期で、その次の30代は失敗の適齢期であるということでした。

与えられたことを与えられた通りにこなしているのでは、失敗が足りない。三十代は、失敗を恐れず、与えられたことを与えられたこと以上の何かに挑戦しなければならない。当然痛い思いもするが、それは脳の糧となり、ときには、その挑戦の中に閉塞した状況を打破する、とんでもないアイデアがあったりする。そいうか、とんでもないアイデアは、失敗の中にしか得られないのである。失敗は、脳が、ぎりぎりを攻めている証拠だからだ。

 

成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる (新潮文庫)

成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる (新潮文庫)

 

 


確かに、20代の頃は与えられた仕事を一生懸命にこなすことで精一杯だったかな。前の営業の仕事をしていたときは、お客さんの期待というか、信頼を得るために、会社から言われてこと以上のことを自分で考えてやっていたとは思います。営業は市場でモノを売るのが仕事だから、自然と市場を意識せざるを得ない。だから、言われたことだけをやるでけじゃあダメなんだよね。

 

挑戦と失敗、「トライ&エラー」でメタ認知能力は鍛えられる。そして、「マーケット感覚」も鍛えられる。さらに、脳から見て「トライ&エラー」に適している年齢が、この30代であるということ。

 

けっこう自分も脳に入力してきた方だと思います。これからは、自分の入力したものを使って、自分の考えをまとめカタチにして、出力する練習。あるいは、市場に対して受け入れられるようなモノをつくっていく、そういう「とりあえずやってみる」という感覚が大事なのかな~と思います。

 

自分のやるべきこと、自分の食い扶持を与えてもらっているだけだと、さらなる成長にはつながらないということなのかな。

「成熟脳」のつづき。

成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる (新潮文庫)」から

見方を反転させれば、人生は、脳を成熟させるために、わざと過酷なようにデザインされている、という捉え方もできる。私たちの脳に宿った意識は、本当は、宇宙の外からやってきていて、意識のレイヤを上げるために、この宇宙で修行しているのかも。

なぜなら、才能がある人ほど、人生から大きな苦難を突きつけられるからだ。そして、それを乗り越えて、大輪の花を咲かせる。脳科学的には「苦難を乗り越えて、脳が良くなったから成功した」と言えるのだが、才能のある人には、そもそも凡人に降りかからないような苦難が降りかかることが多いように思えてならない。

というわけで、苦難が降りかかっととき、「なぜ、私だけ?」なんて嘆きたいときには、「私って、特別な才能がある、神に選ばれた人なんだ」と思えばいい。私が、保証する。

 

 脳科学や遺伝子、医学、心理学の研究をしている人が、魂や神さまなどの科学で証明できない人知を超えるものについての考えを聞くのが、とてもおもしろくて興味がわいてきます。

この本では、「意識のレイヤを上げるための修行」という言葉が使われています。自分もこの歳になって少し思うのですが、身体に宿る魂というものはやっぱりあるんだろうと思います。そして、いろいろな試練、修行を重ねることによって、身体がつくられ、もっといえば霊性というものを高めることにつながっていくのではないかと思います。そして、身体は死んでなくなるかもしれないが、魂というものは死んでもなくならない。魂は生きているのだと思うのです。

信じる者は救われる?魂が望むものとは何だろう??

 

 

成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる (新潮文庫)

成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる (新潮文庫)