子ども心を忘れずに。

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 ↑この記事の『田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンデを背負わされている。』というところ。思わず笑ってしましました。そうなんです!田舎者は教養的、文化的な生活を送れない。これは、認めたくない事実…。

 

私が育ったのも田舎町。コンビニは中学生の時にようやくできた。自分の家も山あいで、限界集落の一歩手前というところでした。恥ずかしいことに、私は親戚にも大卒の人ってごく少数だったし、大学生も見たことがなかった。そもそも大学って何をするところなのかも知らなかった。

 

だから、この記事にもあるように、田舎者は“そもそも知らない”のです。(知らないほうが幸せというのはうそだと思う。)選択肢そのものを知らない。残念だけど、それが現実なんだよね。

 

 

自分も大学に行かなかったことはとても心残りに思っています。いまから何年も働かないで大学生活を送るというのは、現実的に正直かなり難しい。これからの生活もあるし、何より時間がもったいない。働きながら学ぶのなら放送大学とか通信制の大学とかがあるから、何年かかるか分からないけど、そういうのを利用して勉強してみたいなと考えています。これは、スキルアップとか、評価してもらいたいからというよりは、純粋な探求心で。やっぱり、新しいことを知るということは楽しいことだから。

 

大学を出ていれば、もっといい仕事につけたのになと思うこともあるけど、悔やんでも仕方ないというか、それをいったん受け入れないと。まぁ、自分も大学出てないなりに、それなりに頑張ってきたつもりだし(笑)。

 

それで、最近なんとなく思うのですが、結局みんな大人になってやっているのは、子供時代を取り戻すことではないか?と思うんです。子供時代好きだったことを発展形として大人になってやってみたり、あるいは、子供時代できなかったことを大人になってやってみたり。子供時代の感情を再体験しているというか。

男の結婚も、母を妻に重ねてみてみたり、自分の子供と一緒に遊ぶのもそう。仕事だって、成績1番になってお母さんに褒めてもらったりすることに繋がっているかもしれないし。もしくは、部活の延長線上に仕事があると思っていたり。子供時代は大人になるためのトレーニングをしている訳だから、大人になって感じるであろう様々な感情を子供のときから体験させておくことが大切なのかもしれない。

 

そう考えると、心の病も子供時代を取り戻そうとする働きなのかもしれませんね。

 

 

 

自分は図鑑とかを見るのが好きな子供だったので、昔から色んなことに興味を持って色んなことを知りたかったんだろうなと、いまになって思います。いまだに、本読むの好きだし、やっぱり色んなことを知りたい、そういう気持ちは今も昔も変わらないんだと思います。

 

たぶん、創造性は自分の経験や知識に基づくものだと思うのですが、自分の中にある子供心によって「遊び」になったとき、それがとても素晴らしい表現となって現れてくるのではないでしょうか??これって、けっこう大事なことだと思います。

 

子供心を忘れて生きるのもつまらないし、大人になり切れずに子供のままってものつまらない。人間として大人になっていくのだけど、どこか自分の中に懐かしい子供の気持ちを持っている。そういう生き方がいいな。と、思います。