振り返る余裕

次の仕事が決まり、ゆっくりしていられるのも残りわずか。もう2か月以上になりますが、本当にのんびりした贅沢な時間でした。時間に追われることがないからこそ、過去を振り返ることができる。そういう時間があってこそ、豊かな人生と言えるのではないでしょうか。

 

 

記憶は個体ではなく動体である。名詞ではなく、動詞である。いわば僕らの半歩先で常にゆらいでいる存在といえます。・・・「思い出すこと」「振り返ること」とは決して後ろ向きな作業ではなく、記憶との対話によって人は成長することさえ可能なのではないでしょうか。

 

 

記憶のメカニズムを整理すると、脳はまず、海馬で一時的に記憶を蓄えます。この短期記憶と呼ばれるものを長期記憶へ移動させるのは、大脳辺縁系の役割です。こうして記憶が定着されても、大脳新皮質の中ではずっと編集作業が行われます。頭がいいというのは、この編集力が高いということです。正確に憶えていることはコンピュータがやってくれますが、コンピュータが逆立ちしてもできないのが、記憶を編集すること、すなわち悟ることです。

 

 

将棋の棋士は、対局が終わったあとに「感想戦」という対局後の検討をするそうです。ここが勝負の分かれ目だったとか、ここが失着だったなどということを対局者と共に振り返るのです。感想戦。いわば、過去の自分を振り返り、「こうすればよかった」とお互いに認識し合う戦です。これは脳の使い方としても、興味深いことです。なぜなら、負け戦を「失望」するだけなら事実を理解するだけで済みますが、「後悔」するためには、実際に起こったことだけでなく「起こり得たこと」も見定めなくてはいけないからです。つまり、「後悔」とは、現実と反現実を比較したうえでの認識なのです。脳の活動としては、たいへん高度な働きです。

茂木健一郎・著「脳を活かす生活術」より

 

 

経験から学ぶとよく言いますが、その経験から何を感じ、何を学ぶのか?そして、その経験の意味を考える。そういうことが、脳の記憶の「編集作業」なのかなと思いました。

 

とりわけ、自分が何度も思い出す記憶は、自分にとって非常に重要な意味があるのだと思います。それを押さえつけたり逃げたりするのではなく、蘇ってくる記憶に向き合うこと。これが大切なことなんだと思います。

 

本当に記憶と言うのは流体で、「編集作業」が起きると記憶の意味が違ってくる。いままで、嫌な思い出だったものが、良い思い出へと変わるってくるようなことまで起こるのです。でも、それって自分の思い出したくもない嫌な思い出から学び取ったからこそ起きる変化なんですよね。

 

30年も生きていると嫌でも色んな経験をします。入力中心だった10代20代と違って、30代40代は記憶を編集することによって、自分の体験から学び、そして次に活かすことが出来るようになるのではないかと思います。

 

そういう意味でも、この2か月ちょっとの時間は過去を振りける日々で、自分の過去から色んなことを学ばせてもらったと思います。意外に、自分にとって大切なことは、自分の中にあるものなんですよね。